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ニヒリズム

  • charistma
  • 2019年10月23日
  • 読了時間: 2分

ここでは、なんとなく自分自身が感じたことを

自分自身の予定調和的な理解、

誰かに読んでもらいたいという承認欲求、

を前提とせず思いついたまま綴ろうと思う。


仕事・趣味・生活、

総じて人生に、更新頻度が少ない今日この頃。

自分の身の回りに起きるすべての事の答えが、

自分の中で「コモディティ化」している。


震撼するほどの驚きや悔しさ。

登りかけの梯子を外される脱力感に対する慣れ。

蔓延する不安という名の拳の的であるという自覚。

その自覚は、

「背負う世界は向き合う世界と表裏一体」ということを強く認識させ、

自分の中の良心と憎悪を、偽善・大儀・在り様という名でオバーコートする


選択肢の多さはストレスの比例定数。

しかしながら、薄氷の上を歩き続ける選択肢の無さは、

開放感とは真逆に、三遍回ってワンを繰り返せという劣等感と閉塞感にすり替わる。


ニーチェ曰く、

「ニヒリズム」とは

「何のために?」という問いに対し、答えられないこと。

すなわち、「意味の喪失」。


何度も拠り所にした、

「それでも」は

「それでも歩ける」というオートマチックな自分という意味だったのかもと思うと

犯した罪をまとめて裁かれるような気持になる。


誰かのもつ裁きの物差しはいつの時代も、それぞれの正義。

何とつながっているのかわからなくなる、その「間」の中で、

自分は、何かを「しようとしているのか」、

それとも反射的に「しそうになるのか」問うてもむなしい。


地球上にある物質は宇宙上ではわずか4%にしかならない。

96%は知らない事。

人生もそうなのだと誰かは言う。

96%は「今」にとって必要のないものだという事実は、

広義でいえばスタージョンの法則にあてはまるともいえるだろう。


もともとないものなら「喪失」にはならない。

もしそれが、確かにあったものなら、

ジョンのいうように「務めは終わった」、

そういえるだけで救われる。


ニヒリズムは円の始まりと終わり。

そのゆがみも、悲しいかな、次の円と隣接することで粛清される。




 
 
 

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